よしながふみ「西洋骨董洋菓子店」
- 作者: よしながふみ
- 出版社/メーカー: 新書館
- 発売日: 2002/09/25
- メディア: コミック
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人が最初に学ぶ中傷の言葉として、呼び名がある。蔑称、不快な呼び名は名指される人に力を行使する。
橘は言った。「ゲロしそーに気持ち悪ぃよ!さっさと死ね、このホモ!」
小野はそう言われた帰り道、さめざめと泣きその足で歌舞伎町へと行く。そして魔性のゲイの第一歩を歩み、以後大活躍。彼自身、結果的にそうなってよかったよと後に語る。しかし、この橘の発言は度々回想に使われる。橘にとっても、小野にとっても、よしなが女史にとってもこの発言が胸にひっかかる重要な問題提起の元であるのは間違いない。
小野の橘への告白は、自分はゲイであるというカミングアウトである。彼のその宣言が、社会的現実を構築しているのは事実であろう。しかしその宣言の内容は行為たりうるものではないと私は考える。同性愛について語ることはそれが語っている欲望とまったく同じものではないのだ。米軍の事例で公的争点になっている事柄は、自分が同性愛者だと述べるという事が、その行為を遂行する意図を表明したものと同じかどうかという点である。表明だとするならば、それは人を不快にするものであるとみなされる。行為をすることではなく、その意図を表明することが不快なものだとするらしい。
まさに橘は不快に思った。そして小野の存在を否定した。死ね、と。小野はきっと思いを伝えたかっただけだろうと思う。しかし、性に関する発話はそれ自身が性的行為の一部とみなされるという、発話イコール行為という極めて微妙な両義性をもっている。性的な意図が表明されたり仄めかされる発話行為が、奇妙なことに、性的行動から分離されないものとなってしまう。男性が男性に好意を抱き、その思いを伝える行為は、あなたに突っ込んでほしい、もしくは突っ込みたいです、と伝えることと同義だと考えてしまうものなのか。いきなりあまり話したことのないクラスメイトに好きだと言われて驚愕するのは、しょうがない事なのかもしれない。でもそれが同性であるというだけで、相手の死を願うまでに至ってしまうのか。
橘は思い返しては反省し、顔を歪める。小野も思い返してはその時の気持ちを思い出し、笑う。本作が終わった後も同人誌上で彼らの人生は続き、小野の思いは私に住み着いている。
世の男性がゲイについてどう考えているは知らないが、今まで何の疑問もなくヘテロとして生きてきた人にとっては、自分とは関係のない世界だと思っているのが大半な気がする。いや、そうでないと困るのだろう。男性のホモソーシャルな関係はすでに我々の体に根付いてしまっているものであり、それによって世の均衡は保たれていく。
<参考文献>
Judith Butler 1997 EXCITABLE SPEECH A Politics of the Perfomative
(竹村和子訳 2004『触発する言葉』岩波書店)
レジュメ応用・抜粋部分抜粋ページ省略サーセン